セラがジランドの補佐となり、2旬——十数日——ほど経った頃。
執務室の奥、書類棚の前。
報告書の確認を頼まれたセラは、背伸びしながら上段のファイルに指先を伸ばしていた。
「……届かない……」
小さくつぶやいたその声に、すぐ後ろから低い声が落ちた。
「どれだ」
振り返る間もなく、すぐ後ろにジランドの影があった。
背後から腕が伸び、彼の大きな手が迷いなくファイルを抜き取る。
目の前をすれすれで通る腕に、心臓が跳ねた。
「っ……あ、あの……す、すみません、私が——」
「ここでもたつかれるより、俺が取った方が早い」
さらりと告げる声は、いつも通り冷静で淡々としている。
なのに、耳のすぐ後ろで響く低音に、セラの首筋まで熱が上がっていく。
近い——。
彼の背中に埋もれるように立っている錯覚を覚えて、セラは息を詰めた。
ジランドが一歩下がる足音を聞いて、やっとのことで前を向き直るも、書類を受け取る手が僅かに震えている。
「……ありがとうございます」
絞り出すように言うと、ジランドは短く頷いた。
それだけで終わるはずだった。……なのに。
「…………………」
彼は何も言わず、鋭い視線のままセラを見下ろした。
意図をもって見られているという事実に、セラは焦りとともに熱が昇り——心臓がうるさいほどに鳴っていた。
動けずただ俯くセラに、ジランドは怪訝そうに目を細めるが、それ以上追及はしない。
ただ、ひとつため息をつき、書棚が並ぶ部屋をちらりと見やった。
「……仕事の環境は自分で整えろ。必要な物はまとめて報告を上げろ」
「は……はいっ!承知いたしました……」
彼は普段通り冷徹な声音で言い残し、背を向けて遠ざかる。
それはただの業務指示だったが、セラにとっては何かを許されたような——彼の傍にいられる現実を実感した心地だった。
耳まで真っ赤になりながら、受け取った書類を両手で抱きしめる。
そっと気持ちを押し隠して、セラは仕事に戻った。
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